先日、関西江津会にて石見神楽を久しぶりに観た。でもそこにふるさとはない...
ふるさとを思う その4 江津 実家にて
【1995年8月記載】
『しかし、それでも彼は喜びに満ちていた。神々を、先祖たちの高潔な人格とその偉業を讃える舞が乙女たちよって舞われ、その中に一人また一人と大巫女が溶け込み、全体が大きな輪になって、渦になって、囃子方は彼女たちすべてを精一杯鼓舞するために太鼓を打ち、笛を吹き、弦を弾いた。次第々々に見ている人々が酔ってきた。』 *1
調子の良いお囃子が聞こえてきた。
お盆を前にした土曜の夜、一年のうちでこの時期が最も賑わうのだろう、街の新しい中心となるショッピングセンターには多くの人々が集まって来る。しかもいつもとは違ってやけに活気が溢れてる。それらの大半は小さな子どもを連れた若い夫婦づれで、その傍らにはおじいさんやおばあさんとおぼしきお年寄りが付き添っている。誰もがとても満たされた表情で、にこやかに笑ってる。東京や大阪へ働きに出ていた息子あるいは娘夫婦が、お盆に合わせて田舎へと帰省してきたのだ。年老いた街が急に若返りだした。
土曜夜市もひと昔前なら街なかの商店街が主役だった。少し脇の路地を入ると急に辺りが暗くなり何とはなしにいけない感覚があったのだが、今ではすっかりその座を国道沿いにできたショッピングセンターに奪われてしまい、すべてが広く明るくなり、健全なお祭りになってしまったようだ。
そんなショッピングセンターの表玄関の片隅に、特設の舞台が設けられ、たくさんの親子連れが群がっている。子どもの頃聞いたとても懐かしいリズムだ。
「ドンドン、トトトン、ピーピー、ピーヒャラ、ピーヒャララ。」
石見神楽のお囃子に乗って、舞台の中央には2ひきの鬼が舞っている。鎧に身をかため刀を手にして、小気味良く太鼓や笛に合わせて首を振る。右から左へ、左から右へ、上下に振って強弱をつけている。見ているうちに、私の身体もうずうずしてきた。
「ハイサァー、ハイ」
心の中で叫んでみた。少しばかり明るいけれど、これが神楽だ、お祭りだ。
もう随分と昔のことだけれど、毎年秋の収穫が終わり冬仕度に入る頃、村のはずれの小高い山の中程にある小さな神社では、境内に赤と白の和紙でこしらえた飾りがいくつも付けられ、質素ではあるが華やいだ舞台が出来上がる。夕方になるとかがり火や灯篭がいくつも灯り、子ども神楽が夜を徹して行なわれていた。
子ども神楽は年に一度の村のお祭りだ。大人たちの奏でるお囃子に乗って、子どもたちが舞い踊る。まずは一番幼い子ども達が四人舞と呼ばれるお囃子を踊り、そして神おろしによる神を迎える舞い、天の岩屋戸の物語、塵倫、大江山、鍾馗とつづく....。小学生の私は訳の分からないままに覚えた台詞を喋り、そして舞った。
山の暗さはとても恐く、初冬の寒さは身に凍みたけれど、かがり火の輝きとお囃子の音に心は躍り、何時しか私も大人達に混じって酔いしれた。大人も子どももみんな等しかった。
毎日毎日、来る日も来る日も、次から次へと、仕事に追われ、仕事に振り舞わされ、仕事漬けの中で、心も身体も限界に近い状態となっていく。特に目標もない、新しい刺激もない、お決まりの業務をこなすだけの仕事のやり方では、ただ生活していくために仕事をするというだけでは、その仕事が苦痛になってくる。息がつまりそうになってくる。何とか自分の時間が欲しくてたまらない、プラスアルファの仕事だってしたい、けれど加速度的に自由な時間は無くなるばかりでストレスは溜る一方だ。できることなら今の仕事はほっぽり出して、どこかでゆっくり本を読んだり、釣りでもしたい気持ちになってしまう。
一所懸命働いて一体何になるのだろうか。お金儲けをしたいのか、儲けたお金でどうするの。人より早くより地位の高い役職へと出世したいのか、社長になって何をするの。目的がはっきりしないのなら、自分を殺してまであくせく働くのは馬鹿げている。自らの生きる喜びを確かめる余裕のないまま、時は無意味に過ぎていく。あの昔味わった神事を祝う喜びは何処へ行ってしまったのだろう。
日々の仕事の中に季節を見いだし、収穫の喜びを味わうことができればと思う。土地を耕し、種を蒔き、肥しをやり、雑草を抜き、虫を除き、育てた苦労を分かちあい、そして素直に感謝し喜びあえる....そんな仕事をしようと思う。
*1:池澤夏樹、マシアス・ギリの失脚、p348、新潮社、1993年