働く環境は、今もって変わっていない。私は何をやって来たというのか...

ハンディキャップ

【1996年7月記載】

  人はさまざまな境遇に置かれている。生まれたときから体が弱く手足が不自由だったり、神経系に障害を持っていたり、或は生まれ落ちた社会そのものが不安定で、戦禍の中であったり貧困と飢えに苦しんでいたり、たとえ平和な社会であっても、両親が揃っていないとかで家庭的に恵まれていないこともあるだろうし、金銭的に裕福であったり貧しかったりと様々である。

  人間そのものにも違いがあるし、周囲の環境も人それぞれに異なっている。人は違うのが当り前なのだ。ただこの違いが極端な場合、時としていろいろな問題が起こっているのである。私たちの身の回りでも極端ではないにしろ、人はみないろいろな境遇におかれておりそれぞれにハンディキャップを抱えながら生きている。

  このハンディキャップというものは、ゴルフの場合はあればある程、楽になる。多ければ多い程コンペなどでは勝ち易くなる。ゴルフがあまりうまくない私にはとても有難い制度なのだが、実生活上、ハンディキャップがあることはとても有難いとは言えない。実際ゴルフでも賞金のかかったプロの試合になると、ハンディキャップなんて何処かにふっ飛んでしまって、そんなのおかまいなしに勝負することになる。だからやはり実際の勝ち負けのところでは、ハンディキャップなんて少ないにこしたことはないのだ。しかし、世の中には様々なハンディキャップがあるのが現実だし、そのハンディキャップもおかまいなしに生存競争が繰り広げられているのが、生きるものの世界だし、人間社会そのものでもある。

  会社生活の中でも一見何気ない様に思える人でも、それぞれに思いもよらない様なハンディキャップを背負って生きていることを思い知らされることがある。

  数年前結婚したAさん、結婚は少し遅かったけれど、とても美人で人の良さそうな奥さんをもらうことができて、みんなから羨ましがられていた。しかし子どもが生まれた際、奥さんが育児ノイローゼになってしまい子育てが全く出来ない状態になった。Aさんは子どもを抱えてしばらくは相当悩み、それ故に仕事にも集中出来なかったらしい。今は少し回復し何とか少しずつではあるが、精神的負担も和らいだ様子。

  Bさんの場合は、子どもさんが出産時の医師の処置がまずく障害を持ってしまったとかで、伝え聞くところによると一時は夫婦の危機もあったらしい。体調も著しく崩して、はた目にも元気がなかった。C子さんはというと、彼女は共稼ぎで、仕事が終わると家では家事が待っている。にもかかわらず会社からは研修と称して様々な宿題が与えられる。ゆっくり自分の時間も持てやしないという。Dさんも共稼ぎ、奥さんに負担をかけまいとして、奥さんの職場に近いところに転居したものだから、通勤に片道2時間以上もかかってしまい、通勤するのだけで大仕事だ。

  けれどこれだけのハンディキャップを抱えながらでも、みな結構そこそこの実績や成果を出しているのである。それぞれの立場で努力し、能力の限りを尽くしているのだろうが、それにしてもよく頑張っているものだと感心せずにはいられない。何をしてそこまでできるのだろうか。

  一方、私といえば、仕事以外の悩みは何もない。仕事以外の事は何一つしない。しなくて済むのだ。なにせハンディキャップが全く無いのだから、仕事はできてあたり前、これは大きい。会社では結果が全てとは言わないまでも、その人の評価の大半を占める。だからハンディキャップの無い人ほど結果は出し易く、評価も良い。その良い例が昇進昇格である。キャリアウーマンとしてバリバリ仕事をして、主任、主事そして課長になっている女性は、ほとんど全てと言って良いほどシングルもしくはノーキッズ、ハンディが無いのだ。男性にしても育児や介護といった家庭にまつわる負担の無い人の多くは、それ相応のポストに就いている。そう思うと妻に感謝してもしきれない。

  しかし本当にハンディキャップはマイナスなのか、もしくは人生に対して逆作用を及ぼすものであろうか。ハンディキャップを克服する努力をすることによって、その力が逆にプラスに転じることにはならないものか。人の幸せの度合は相対的なものだとすると、ハンディキャップを克服していく力は、ハンディキャップを補った時点すなわち普通の人と同じになったと思った時に、精神的には相当な満足感をその人にもたらすであろう。同じレベルでも努力した分、プラスのベクトルが働いているわけで、それだけ未来があるとは考えられないものか。単にハンディキャップを他人に補完して貰ったのとは意味が違う。  基本的に人は人として生きている内は、全くの平等ということは有り得ないし、どんな人でも少なからずハンディキャップというものはあるはずで、それを克服していく努力をすることが、もしかしたら生きている価値なのかも知れない。案外、ハンディキャップ=未だ満たされない願望  ということが言えるのかも知れない。