今思えば60才はまだ若い...最初に買ったレコードは'ラバーソウル'だった
イエスタディ
【2002年11月記載】
11月11日、大阪三国での残業もそこそこにして帰路についた。時刻は午後6時30分。うまくいけば梅田の”チケットぴあ”には7時までに着ける。しかし運良く7時までに着けたとしても、めざす公演のチケットは残っているかどうか…。なにしろ公演は1週間後の11月18日に迫っていて、残っている可能性は低い。
ポール・マッカートニーの大阪公演があることは、チケットの発売日よりも前に知っていた。しかし行くべきか、行かない方が良いのか、この2ヶ月間ずっと悩んでいた。大阪公演の話を知った時、真っ先に妻や長女に相談したのだが、「ポール・マッカートニーなんて古い。それにもうお爺さんじゃないの」
「そんなに古臭い音楽を聴いても面白くない。どうせならもっと新しい人の曲を聴いた方がましよ」
そんな言葉に意気消沈してしまっていた。けれど思い起こしてみれば、高校生の頃、暇さえあればビートルズのレコードを回していた。特にポール・マッカートニーのメロディメーカーとしての才能や歌の上手さには憧れていて、一種の神様のような存在だった。一度でいいから実物を見たいと思っていた。生の音を聴いてみたいと願っていた。だから何も迷うことはなかったはずなのだが…。
「そうさ、年老いたポールを見ても、ポールだけのビートルズナンバーを聴いても、だめだ。かえって、今までのイメージが壊れるだけだ」
「どうせ大阪ドームの端っこから見ても、米粒みたいで分かりゃあしない。そんなものに14,000円もかけるなんて無駄なだけだ」
と言い聞かせながら、2ヶ月が過ぎてしまった。この間、大阪と奈良を往復する機会が何度もあり、チケットを買うチャンスはいくらでもあった。実際、”チケットぴあ”のカウンターで残りの席を尋ねたこともあった。しかし買うことなしに今日まで来てしまった。おそらく今日が最後のチャンスだろう。まだ開いているといいのだが…。まだ残っているといいのだが…。
まだ間に合った。“チケットぴあ”は閉店間際で、カウンターには客が何人か並んでいた。待つこと数分、今度は躊躇わずに言った。
「ポール・マッカートニーのチケットを1枚下さい」
「14,000円と12,000円の席がありますが、どちらにされますか」
「14,000円のにして下さい」
「席が1つですから、出きるだけステージに近いところを探してみましょう。内野席の19列目がありますが、これにされますか」
「はい、お願いします」
とうとう買った。何となく心がスッキリとした。心持ち楽しくなった。
当日は仕事もそこそこにして、早めに会社を後にした。公演は夕方7時に始まって、10時半近くまで続いた。正味ポールは3時間ずっと歌い続けた。とても60才とは思えないほど、溌剌としていた。どの曲もすべてみんな、懐かしく思い出深い曲だった。エリナー・リグビーなどはあらためてその斬新さに驚いたし、バンド・オン・ザ・ランの迫力には思わず体が浮き上がりそうになった。一人だけのコンサート鑑賞で少し淋しい思いもあったけれど、とても充実したひと時だった。30年前に届かなかった何かを手にしたような気分になった。それと同時に、30年前の私たち家族の1シーンも蘇り、それをしっかりと胸に刻み込むことができた。

