今思い返せば、漢文の授業って本当に面白かった!
管鮑の交わり
【2008年6月記載】
年俸通知をもらった。昨年に続いて今年も上がった。素直にうれしく思えた。子どもたちも大きくなり、それなりに出費も嵩むので、とても有難い。
会社の中でどんどん出世して、高い地位に就けば、収入は格段に増える。それもひとつの方法である。しかし、私のようにたとえそんなに出世しなくても、こうして収入が増えれば、それはそれで有難い。出世欲は満たされなくても、収入さえ増えれば、物欲なり自己実現欲といったそれなりの欲望は満たされやすくなる。
では、なぜ収入が増えたのか。会社の業績が著しく良くなったからである。会社全体が良くなれば、みんながその恩恵を享受できる。会社の中で出世するのは、それはそれで良いことだけれど、所詮、決まったパイの奪い合いになってしまう。みんなが自分の役割をきちんと果たして、会社が成長し、儲かれば、これはもっとすばらしい。自分の身の丈にあった仕事をして、それでみんなが幸せになればそれに越したことはない。要は会社組織の役割分担がうまくいき、それで業績が上がることが一番大切なのだ。会社の中で、自分の能力をはるかに越えたレベルの無理をしている人がいれば、あるいは能力以上の負荷を負っている人がいれば、それはその人にとっても、会社にとっても、会社に勤めているみんなにとっても良くないことだ。おそらく組織としてうまく機能していないに違いないから。
自己の欲求をどこまで求め続けるのか。欲望に限度はないという。しかし、欲望に任せて走り続けると、その弊害は大きくなる。やはり身の丈を知ることが一番大切なのだろう。
ところで、私が「管鮑の交わり」を知ったのは、高校の漢文の授業の時であった。その時はとても奇異に感じられた。鮑叔牙は、自分が偉い地位につける絶好の機会なのに、それをやめて、なぜ敗者である管仲にその地位を譲るのか、分からなかった。が、その分、とても印象に残った。これは単なる友情の話ではない。人生観、価値観を問う物語であると。
受験競争の真っ只中にいたので、余計にそう感じたのかもしれないが、その頃はとにかく他の奴らに負けたらダメだ、ライバルよりも少しでも上に行かなくてはいけないと思っていた。それをこの鮑叔牙は、こともなく打ち砕いた。ライバルに勝ったのに、そのライバルの下に甘んじようとしたのである。自分の才能を客観的に評価することができたのだろうが、それにしてもすごい人物だとは思わずにはいられなかった。何がみんなにとって一番良いのかが分かって、それを素直に実行したのだから。政治能力としては管仲に劣るかもしれないけれど、鮑叔牙は、人間の器としてはとても大きな人間であったと言えるだろう。
何が一番大切なのかを考える時、その対象をどこに置くかが、その人の器を決めるのだろう。その人の価値観や人生観を窺い知る手段としては、その人がどのレベルに“その対象”をもっていっているかが、ポイントのような気がする。
私も“その対象”を、自分や身の回りの人に置くのではなく、せめて会社や地域のレベルにまでは広げたい。一人ひとりが、そう心掛ければ、きっと良い会社や良い地域になるはずだ。ひいてはそれが、私個人の幸せに通じるのだから。
【管鮑の交わり】
時代は春秋時代、斉の国の話。管仲と鮑叔牙は、若い頃から無二の友情を結び、特に鮑叔牙が管仲の才能を認めることは並々ならぬものがあった。時を経て、鮑叔牙は、斉の公子 小白に仕え、管仲は、小白の兄、糾に仕えるようになった。
やがて斉に 謀反がおこると、管仲、鮑叔牙はそれぞれ公子を奉じて他国に亡命し、自らが仕える公子を国主につけようと争うことになった。結果は、小白が勝利し、即位して桓公 となった。負けた公子糾は、桓公の要求で亡命先の魯で殺され、家臣の召忽は自殺してしまったが、管仲は1人、捕らわれて斉に送られた。
桓公は、争いの中で自分を暗殺しようとした管仲を死罪にするつもりだった。しかし、鮑叔牙は、管仲の才能を高く認めていたので、
「ご主君が、斉の国主であるだけでご満足なら私でもお役に立つでしょう。しかし、天下の覇者となるおつもりなら、管仲を宰相にしなければなりません」
と言って管仲を推薦した。
よって、桓公は彼の罪を免じただけでなく、宰相の地位につけて国政を委ねた。管仲は、期待に背くことなく手腕を発揮し、国富に重点をおいた善政をおこない、桓公をして覇者たらしめた。