今の朝ドラは好調のようですね。国民に元気を与える有効なツールだから...頑張らないとね
朝ドラ
【2022年10月記載】
妻が実家へ行っている間は1日が慌ただしく過ぎていく。朝のゴミ出しも時間に追われるひとつである。特に燃えるごみの日は8時までに出さないとゴミ収集車は去ってしまうので、少しばかりプレッシャーになる。
そのゴミ出しの時、お隣りの奥さんと少しばかり話を交わした。
「ゴミ出しも面倒なものですね。毎日大変ですわ」
「そうやね。私も毎日こうして生活しているだけで、足も悪いし、どんどん衰えていくばかりで、何の楽しみもあらへん。幸い主人の車で買い物には出かけられるので、まだいいのだけれど」
お隣りの奥さんは80才前後で、昔から足が少し不自由なのだが、最近は歩くのも辛そうに見える。10年くらい前までは、近くに住んでいるお子さんがお孫さんを連れてよく遊びに来られていたが、最近は訪れる人もあまりない。
そうなのである。老後は何をしていいのか、何の楽しみがあるのか。特にコロナ禍になって行動制限が加わると、活力というか生き甲斐みたいなものが全く無くなってしまう。仕事をしている時は、仕事そのものにやり甲斐や達成感を見出せていたし、家族を養い子どもたちが成長していく様に満足感を抱くことができた。しかし、リタイアし家事中心の生活になると、今まで持っていたはずの目標とか生き甲斐みたいなものを見失ってしまった。そう、お隣りの奥さんと同じ感覚なのである。
とは言っても、楽しみが無いわけではない。子どものこと(仕事や家庭生活の充実ぶり)や孫の成長は見ていて嬉しいし、趣味(ゴルフ、スポーツ観戦、音楽鑑賞)も楽しい。が、それほど自らの活力を駆り立て、意識を刺激するほどのものでもない。家事中心の平凡な日々を送るのが日課となっている。
でも、それでいいのだろう。それが老後というものなのだ。老後の目標は決めている。とにかく最期となる日まで“自立して生きる”ことだ。そのために家事に専念し、健康に留意するのである。
家事が忙しいのは朝と夕方である。特に朝の2時間は動きっぱなしである。6時前に起床し、8時までに何とかひと通りのことを済ませる。朝食の用意、弁当作りそして洗濯物を干してゴミを出す。掃除機をかけ終わるとおおよそ8時くらいになる。そこで休憩し、朝ドラ(NHK連続テレビ小説)をゆっくり見る。
最近はこの朝ドラを目標に家事を済ませることにしている。この朝ドラを見るのが楽しみとなっているのだからなんとも不思議だ。今まではあまり見向きもしなかった(意識したことが無かった)朝ドラである。少しばかり馬鹿にしていたのに、それが今は日常生活の支えのひとつになっている。
テレビドラマって、この歳になるまではほとんど重要視してこなかった。単なる日常の娯楽であり、毒にも薬にもならない暇つぶし的なものだと思っていた。自己成長には不必要なものであり、時間の無駄だと考えていた。しかし、朝ドラを見ることで一日のリズムができるし、内容的にはサクセスストーリー、ハッピーエンドが多く、心が不安定になることはない。要は、安心して見ていられる。昔多かったホームドラマのようなもので、心が和らぐのである。
主夫となった私に、これからの人生目標は今のところ明確にはない。現役時代のような昇進昇格や自己実現(新しいものへの挑戦)に向けての目標設定はない。ただ、一日一日をきちんと過ごし、人の迷惑にならないような晩年を送ることに尽きる。その中で、朝ドラは生活の力のひとつとなっている。