今の万博もそうだけれど、国家イベントは誰のために何のために開催されるのだろうか
スポーツとは何か
【2023年11月記載】
東京オリンピックを経験して、私のスポーツに対する考え方は大きく変わった。当初、東京オリンピックが開催されるとあって、是非ともアスリートたちの躍動する姿を生で見たいと思った。しかし、実際にはコロナ禍でのリスクを考慮し無観客での開催となり、TV越しでの観戦となった。この際、一部のアスリートからは、なんとしても観客を入れて自分たちのプレーする姿を見てもらいたいとの強い要望があった。そのアスリートのコメントでは、観客に自分たちの活躍する姿を見せることで、モチベーションが上がり一層プレーに集中でき、より良い成績を上げることができるということであった。
何故? 応援してもらうことで、ホームのアドバンテージを得ることができて勝利に近づける。そして、会場が盛り上がることで競技のレベルが上がり観客(TVを観てる人も含む)をより楽しませることができる。ひいてはその競技の人気が上がり、自分たちの認知度も上がる。結局は、アスリート自身の人気取りのため、アスリート自身の競技生活を安定化させたいがためなのではないか。観客にコロナというリスクを冒せてまでするものなのだろうか。
オリンピックもプロ化して、金銭のために競技をするようになってしまった。今回の東京オリンピックでの汚職事件はそれを如実に物語っており、オリンピックというショーの興行成績を上げるために、私たちは踊らされていたようなものである。コロナ禍の中ではあったが、つまるところ自国開催にも拘らず、東京オリンピックの印象はとても希薄で、ほとんど記憶に残っていない。あたかも軽薄な三文芝居を観てしまったかのように。
そもそもスポーツで勝敗を争う(競う)のは何のためなのだろうか。走ったり、跳んだり、投げたり、蹴ったり…。日ごろ鍛えた身体の能力を、身近なもの同士で競い合い、評価し合うのが本来のものではなかろうか。それを国威発揚とか、国家間で勝ち負けを決めてどうしようとしているのか。特にオリンピックでは“日本が勝った”ということが重要で、それによって国民の気持ちが高揚し、日常生活における不平不満(ストレス)のはけ口となることが狙いなのではないか。オリンピックで日本が多くのメダルを獲得することで、国民が喜び満足すれば、それだけで政治はやりやすい。アスリートたちはそれに利用されているに過ぎない。アスリートが自分の価値を高めようと努力するのはいいけれど、彼らが活躍しても庶民にはストレス解消以外には何のメリットもない。特にオリンピックはとてつもない税金の無駄遣いであり、むしろ一時的なストレス発散による現実からの逃避という悪い側面しかないのではないか。
大谷が活躍しWBCで日本が優勝したことで、日本中が沸いた。阪神タイガースが38年ぶりに日本一となり関西は熱狂した。でも、それって何なんだろう? 庶民がスポーツで踊らされているだけではないのか。野球は国民的スポーツなのでまだその効果はあるけれど、多くの税金を投入し無理やり実施した東京オリンピックの効果はほとんどなかった。張りぼてのショーには誰も感動しないし、やたら競技種目をつくって勝ち負けを競ってもそこには無理が生じる。スポーツで国民の目をごまかそうとしても限界がある。
私たちもスポーツという美しい名まえに惑わされてはいけない。スポーツとは、日常のストレスを適度に発散させるツールなのだから。それをしっかり認識していなくてはいけない。