今から思うと、本当に不遇な時もあった...それでも夢は実現する!諦めないことだ
日々努力することの意義
【2003年6月記載】
上司から今年度の年俸通知を受け取った。我社はここ数年の経営改革が奏効したのか業績が計画どおり回復基調にあり、昨年カットされた賞与がその前年のレベルにまで戻るという。良かった、これでひと安心だ。子どもたちも高校や中学に通うようになり学費や食費に思いのほかお金がかかる。この一年間は例年に比べておよそ80万円の支出増となり、家計が苦しくなってきたところなので、少し助かりそうだ。
しかし、現実は厳しいものだ。確かに全般的には例年並に戻ったのかもしれないが、私は違った。私の業績評価は極端に悪くなっていた。2ランクも3ランクも落ちたらしい。賞与が10%カットされた昨年よりもさらに落ち込んだ。上司の話によると、一次評価で研究所所属の責任者たちから徹底的に叩かれたようで、二次で戻そうにもあまりにもランクを下げられていたので、それも十分にはできなかったということだ。
「評価する方に問題がある。キミの能力については、副社長も私も認めてはいるのだが..」
慰めの言葉をかけてくれて有り難いと思った。しかし現実は現実で、しっかりと受けとめなくてはならない。どうせもう我社ではいい評価はもらえないし、出世街道から外れたのだし、もういい加減にしてそこそこ仕事をやっていればいいんじゃないのか。そんな気持ちが強くなった。
帰宅して自棄酒ではないけれど、ビールを飲みながら何とはなしにテレビを眺めていると、西岡たかしがジョン・レノンの曲を歌っているではないか。とても歌い慣れた感じでなかなか味のある歌い方をしている。歌い終わって女優の桃井かおりと対談したのだが、これまた彼の人生観をよく言い表していて人を惹きつける話であった。
このとき、ふと思った。いったい彼は歌手になっていなかったらどうなっていたのだろうか。「遠い世界に」がヒットしていなかったらどうなっていたのだろうか。おそらく趣味でフォークソングなんかを歌っているそこいらの喫茶店のマスターか何かになっていたのではなかろうか。そしてそれほど歌も上手いといえるレベルにまで達していたかどうか、いわんや対談できるほどの話術も身に付けてはいなかっただろう。それが歌うこと一筋で、おそらくその道において日々の努力を積み重ねてきたからこそ、今のレベルがある。そういう立場に置かれていたからこそ、やって来れたし、力がついて個性あふれる魅力ある人間になれたのだろう。普通の人とは違う恵まれた環境にあったからこそ、今の西岡たかしがいるのであろうが、その置かれた環境がどうであれ、彼が努力して積み重ねてきたことが彼を普通の人とは違う高いレベルにまで押し上げていったのは事実である。
そうなのだ、どんな環境下に置かれようとも、目標を持って日々努力し、それを地道に継続していくことが、その人の人生を高め、より有意義なものにしていくに違いない。フジコ・ヘミングにしたって、そうだ。ピアニストとして不遇な時代を送ったかもしれないけれど、それに押し潰されることなく、自分の道を確実に歩んできたからこそ花開いたわけで、途中で努力することをあきらめたり、自棄になってやるべき事を放り出してしまったら、何にもならなかった。
昨日、奈良の研究所でW課長と雑談をしていて、今、新規事業の創出をめざし、経営の仕組みや利益獲得構造などの勉強をしていること等を話したのだが、彼曰く、
「そんなに勉強しても無駄だよ。もう歳なんだから」
確かに残された会社生活は長くはない。だけど諦めて無為に過ごす人生なんて面白くない。報われない努力はないはずだ。きっと何かの形でそれは現れ、残ると思う。キッとしたいい人生にするためにも緊張感を持ち続けていくべきなのだ。