並行処理ができなくなるのが、老化というものか...

忘れ物

【2017年11月記載】

最近、2つの忘れ物をした。どおってことないのかもしれない。以前にも同じような忘れ物をしたことはあるのだから。ただ、立て続けにしてしまったことと、もう60才を過ぎているので、何かの予兆ではないのかと思い、少し考えてみた。

はじめの忘れ物は、東京出張の際に、折りたたみ傘を置き忘れてしまったこと。雨が降りしきる中、国会図書館を見学した後、もうこのあとは新幹線に乗って帰宅するだけという状況の中、地下鉄永田町駅で電車を待っていた時に、ぬれた傘をたたんで、座っているベンチの横に置いたままにしたのである。置いたことはしっかり覚えていて、それも忘れずにカバンに納めなくてはいけないと認識していた。が、同時に、帰りの新幹線チケットをとるため、スマホを操作したのである。その操作中に、電車が入ってきたものだから、あわてて乗車した。その後すぐに、有楽町でJRに乗りかえた際に気がついたのだけれど、たかが傘を忘れただけで引き帰す気にはならず、そのまま新幹線で帰宅した。ちょっぴり残念ではあったけれど。

それから3週間後、これも東京出張の時であった。正確には、東京から群馬に向かう時のことである。浅草から当社の支店がある太田市に行く時に利用した東武特急に、メガネを置き忘れたのである。

この出張はとても気楽なものであった。前日は浅草に泊まり、朝食をとった後、ゆったり気分で特急に乗り、太田までの時間を読書で楽しんでいた。ただ、この特急列車の出入口は、普通の列車とは違っていた。通常は、車両の前後に出入口が2ヶ所設けてあるのだが、5号車と6号車の連結部側に出入口は無く、その反対端にのみ出入口が設けてあった。運悪く、私の座った席はこの連結部に近く、下車する際には反対端まで、すなわち車両の端から端まで歩かなければならなかった。

ゆったりと本を読んでいたものだから、下車する際に少しあわててしまった。出口が遠いのが分かったので…。本を読む際にかけていた老眼鏡をケースに入れたまま、座席のどこかに置き忘れてしまったらしい。

支店に到着し、いざ会議を始めようとして、初めて気がついた。文字が見えないことに…。そして、メガネを忘れてしまったことに。

あわてて太田駅に問い合わせた。メガネの忘れ物はないかと。さすがにメガネは高価なので、そうおいそれとは諦められない。運よくあるにはあったのだけれど、新桐生駅にまでとりに行かなくてはならない。とんでもない時間のロスになってしまった。

今までに傘をなくしたことはあった。2回ほど。しかしこのいずれもお酒を飲んで、飲み屋に置き忘れるか、タクシーに置き忘れたものであった。しかし今回は素面で、しかも脇に置いてあることは十分認識していた上での忘れ物である。また、メガネもなくしたことはあった。もう15年くらい前のことだけれど、家族連れで、梅田で食事をした後、万博競技場でサッカーを観戦した際に、メガネを紛失してしまった。このときは、3人の子どもも一緒で、何かとバタバタして、その挙句、どこで失くしたのかも分からなかった。けれど今回は十分時間的なゆとりはあったはずであり、そんなに周りがざわついていたわけではないのに、忘れてしまった。

もう以前のような注意力は失せてしまったのだろうか。同時にいくつかの事を自然にこなしていたであろう若い頃の対応力がなくなってしまったのだろうか。

人間の能力として、私はひとつのことしかできないと考えていた。並行して2つのことを考え、処理していくことはできないものだと思っていた。今、現時点でできることはひとつだけ、それをどれだけ手際よく処理していくことができるか。ひとつのことを片付け、次のことに移り、それをテキパキと処理して、また次のことに移って行く。それを順序良く、頭の中を整理してできる人が、いわゆる優秀な人であり、結果としていくつものことがすぐにできる人、並行処理のできる人だと思っていた。

しかし、案外、人間っていうものは、意識しないで2つのことができるのかもしれない。できているのかもしれない。若い時は、潜在意識の中で並行処理ができていたのかもしれないと。歳をとって、その能力が落ちてきて、結果として忘れ物が多くなっているのではないかと。そう思うようになった。