一年の計は元旦にあり...そして、思い立ったが吉日

お正月

【2018年1月記載】

年の瀬が近づくにつれて、少しずつ日が暮れるのが早くなり、夕方の5時頃にはもうすっかり夜の気配になってしまう。同時に、日に日に寒さが増してくるので、体も心も縮こまってしまい、なんとなく憂鬱になる。

近頃はLED電飾が流行っていて、街が華やいだ感じになるので、少しばかり救われてはいるけれど。それでも、やはりこの季節は寂しい感じがするのは否めない。でも、個人的にはその感覚も冬至までで、冬至が過ぎるとなんとなく明るい気分になる。本当は冬至を過ぎる頃から本格的な冬が到来し、より寒さも厳しくなり荒れた天気が多くなるのだが。

この日より日が長くなるというそのことによって、気持ちが上向く。日一日と春が近づくということに喜びを覚える。この冬至あたりに、クリスマスや正月があるというのも、こんな人の思いが込められているという。再生、復活、明るい未来、そんなことに私たちは希望を見い出し、気持ちを前向きにしようとする。

ここ数年の年末年始は、その過ごし方のパターンが変わって来ている。子ども達が幼い頃、両親が健在であった頃とは違って、家族5人が揃って出かけることは無くなった。独立している子ども達はそれぞれにスケジュールを抱えているので、要は、妻と私がこの期間をどう過ごすのかということに尽きる。

年末年始にかけて、妻は三次の実家に帰り、お母さんの世話をする。私は子ども達が帰ってくるかもしれない我が家をオープン状態に保つため、奈良の自宅でゆっくりと過ごすというパターンが定着してきた。だから、正月は家族みな別々に迎えることになる。

今年も妻は12月28日から三次に帰り、私は次男と二人で年末年始を過ごした。元日には妻が戻ってくるので、ほとんど不自由はしない。特に食べることに関しては、冷凍食品が豊富になったことと、彼女があらかじめ正月用のおせち料理を頼んでくれているので、結構豪華に過ごすことができる。何よりも元日には妻が戻ってくるのが分かっているので、とっても気楽で安心である。元日から家事全般が通常状態に復活することが分かっているので、それまでの多少の不自由さを我慢することやちょっとした家事での頑張りはできる。これは大きい。

正月にどこへも出かけることなく、我が家でゆっくり過ごすことの意味あいは深い。じいっとコタツにあたって、過ぎ去った1年間を振り返る。どんな事があったのか。何をしてきたのか。そしてそれはどんな成果あるいは課題があったのか。1年間の思い出を辿るのは楽しい。

1年間を振り返るのに2、3日間、そして新しい年に向けての抱負や目標設定をするのに1日。これだけの日数をかけて頭の中を整理すると、とてもスッキリする。次に新しいものが頭の中に入ってきても大丈夫。それだけの余地ができたようで、爽快である。新しい年へのスタートが思いきって切れそうになるから有難い。

季節の節目で、それも陰から陽に向け、底から上に這い上がっていくような気分になれるこの冬至あたりに、気持ちを切り替えられる、心身をリフレッシュできる正月を設けた先人たちの知恵には、感謝をするべきなのだろう。

今日からまた新しい年が始まる。明るい未来を願って、初詣に出かけるとしよう。