マネジメントは難しい。第三者的な分析と反省が必須だけれど、それでも失敗の連続だ...

部下の責任、上司の義務

【1999年11月記載】

 午後9時、仕事も一段落したのでいつものように2階の居室から1階の実験室へと足を運んでみた。まだ何人かは残っていて、パソコンに向かうなり,実験をしたりで、明るくはつらつとしている。少し冗談を交えながら開発テーマの進捗を聞いていたのだが、ふと実験机に目をやるととても机の上の整理が悪い。コーヒーカップやノートパソコン、書籍に資料やメモ書き等々、散らかしっぱなしだ。

「○○さんは何処に行ったの」と尋ねると、「もう、帰りましたよ」との応え。
「えっ、それはないだろう!」机がこんな状態で帰れるわけがない...

 ここ2年、研究室の方針は”自分を活かす”を掲げてやってきた。研究開発成果をアップさせるには、個人の能力を高め、その人に合った仕事をしてもらうことだ。だから室員への裁量範囲を広げ、能力アップへの自由度を持たせるようにやってきた。研究開発費はもちろん、日程管理、学会や展示会への出張等への余計な制約は外し、諸行事への参加強制も廃止した。個人の技術目標も設定し、活動力アップへの環境づくりはしてきたのだ。しかし、環境づくりだけで肝腎の中身が抜け落ちていた。

そういえば、先日も工法開発室のN室長が、私にこんな苦言を呈していた。
「君のところの△△くん、試作機の緊急依頼をしてきたのはいいのだが、緊急と言う割りには依頼書を催促しても出て来ないし、図面なしの口頭試作依頼の打ち合わせも遅れている。彼はレク委員として、先日のレクリェーションの整理作業を優先しているようだが...」

 彼に限らず、仕事に対する姿勢も随分と甘い。確かに事業部への派遣やトップダウン緊急業務に力一杯努力しているメンバーもいる。が、開発テーマ推進にしても、日程厳守の意識が薄く、遅れ気味。なのに、年休はきっちり取得し、毎日一定の時刻がきたら”さようなら”では、これも当然の結果なのだろう。上司と部下、お互いに自由闊達という言葉の下に自由気ままの状態になっているのではなかろうか。

 部下は自己の権利を目一杯主張し、責任の程は有耶無耶にしてしまう。上司も部下に良く思われたいがため、上司の義務としての強い要求を部下に突きつけられないでいる。そんな構図が浮かんできた。

 翌日の朝一番、室員を集めて今の思いを投げかけた。小言と捉えた人もいる。ありがとうと言ってくれた人もいた。今ようやくスタートを切ったのだろう。