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技術は本当に私たちのために進歩しているのだろうか

【1998年4月記載】

高校2年生の夏、自然気胸という当時としてはめずらしい病気になって、2ヶ月間東京のT大学病院に入院していたことがあった。

夏休みになると同時に、梅雨と台風の影響で中国地方最大の川、江の川が氾濫し、河川沿いの町や村が水没してしまった。この時、私たちの家族は直接被害には遭わなかったけれど、以前住んでいた川戸の町は、ほとんどの家屋が水没し、壊滅状態になってしまった。川戸には叔父さんや伯母さんが住んでいたので、父は水が引くと同時に、崖崩れのおそれのある国道261号線づたいに、自転車で救援に行った。私もすぐに、水害後の復旧作業を手伝いに20キロの道のりを自転車で駆けつけた。私も小学生の頃、水害で一度ひどい目に遭ったことがあるのだが、この時の被害はそれをはるかに上回るものであった。

結構一所懸命頑張って、復旧作業を手伝ったのだろう。それから2、3日後の夜、急に胸が締め付けられるように痛くなり、息苦しくなって、とにかくじっとしていられない状態になった。その夜は何も手を施すことが出来なくて、七転八倒したのだが、翌朝になると一応痛みは治まった。近くの行きつけの内科医に診てもらったのだが、原因が分からない。夏バテでもしたのだろうということで、ビタミン剤をもらっただけでその時は済んだ。

ところで高校2年生にもなるとそろそろ大学受験を意識しだす。田舎の町にはこれといった塾があるわけでもなく、受験戦争といわれる雰囲気からはほど遠い環境だ。そこで、この夏、父は東京で予備校の夏期講習を受けるよう準備をしてくれていた。胸の痛みを覚えて以来、体がだるくてシャキッとしなかったけれど、せっかくの機会なので上京し、伯父さんの家から予備校に通うことにした。

丁度よい機会なので、一度体を良く診てもらおうということになり、従姉の勤めていたT大学病院でレントゲンを撮影した。驚いたことに、一発で原因が分かった。左側の肺が萎んで半分くらい水が溜まっていたのである。即、入院である。レントゲンで見ると水の溜まっているのがよく分かった。誰が見てもはっきり分かった。残念ながら田舎の医院では、レントゲンを撮影しようとしなかったし、またレントゲンが無かった。聴診器では分からなかったのだろうか。特別の病気でなかったら治せたのだろうが。

一度治っても、この病気は再発する確率が高い。それから暫く、胸の痛みには過敏になった。少しでも変調を来たすと、レントゲンを求めて遠くの病院へ出かけて行った。気をつけていたので、その後右と左の肺、それぞれ1回ずつ萎んでしまったが、そうそう大事には至らないで済んだ。

それから15年後、長男が生まれた頃、組合の活動委員としてイベント準備に追われたことがあった。テレビ番組の鳥人間コンテスト、コミック部門に出場しようということで、高さ3m幅3m長さ5m程度の馬鹿でかい張りぼての鳥を作った。結局、悪天候のためコミック部門は中止ということで、苦労した甲斐が全くなかったのだけれど、この時約1ヶ月間、仕事を終えた後、毎晩夜10時過ぎまで作製に携わった。仕事上でも新しい上司の下、プレッシャーがきつくなったことと相俟って、体調を崩してしまった。

変な咳が出て止まらない。今住んでいる奈良の町医者で、レントゲンを撮って診てもらうと、胸部のリンパ腺が異常に腫れている。血液検査の結果も良くない。けれど原因がつかめない。そこで、N大学病院に入院して、気管支にマイクロカメラを突っ込んでみたり、造影剤を使ってCT撮影をしたり、いろいろ検査をした。診断の結果はサルコイドーシスという病名であった。あまり無理をして疲労をためると、そのうち目が見えなくなったりするらしい。とにかく無茶をしないで、激しい運動は控えなければならない。およそ1年間、仕事は早めに切り上げて、アルコールもほとんど口にしないで、何とか元気を取り戻した。

さらには、前厄の39才、研究所の企画担当をしていた頃、自分でも結構ハードな仕事なのに、良くこなしているなあと思ってはいた。所長スタッフとして、スケジュールに追われ、自分の時間を持てないまま、また夜の接待や交際も頻繁であった。年も明け、次年度の事業計画を策定しようとしていた頃の休日、ふと左下顎が腫れているのに気がついた。痛みは全くないのだが、ぶよぶよした瘤が出来ていてまるでこぶとり爺さんになったみたいであった。掛かりつけのお医者さんに診てもらっても、やはり原因が分からない。K大学病院でCTや超音波で調べてもらった結果、どうも唾液腺が詰まっているらしく、結局手術で取り除いてもらった。この時ばかりは不安で不安で仕方がなかった。

そして今回、42才となり後厄も済んだのに、またまた年明けから調子が悪くなり、2月になって出血してしまった。超音波で診てもらった結果、前立腺に小さな石がいくつかあるらしい。それも原因の一つではあるのだろうが、それだけでははっきり分からないようで、CTやMRIで体の様子を撮影してもらった。やはり技術の進歩は素晴らしい。患部の様子が素人目にもよく分かる。腫れている部分がそれとはっきり認識できてしまう。医者も便利になったものだ。結局、しばらくは様子見の状態で、経過を観察することにした。仕事もしばらくは無理をせず、アルコールも控え、体力の回復を待っている状態なのだけれど、今は徐々に上向きつつあり、少し安心。

この25年間、医療現場での技術の進歩は著しいものがあり、相当詳しいところまで、患部の状態が把握できるようになってきて、とても素晴らしいことではある。しかし本当にそれで良いのであろうか。なるほど個々の分析装置は、人体の情報を詳細にしかもより低コストにて、私たちに教えてくれる。今自分の体がどういう状態になっているのか、よく分かる様にはなったけれど、実際に私たちが受けるサービスとしては何も変わってはいない。素晴らしい医療機器によって、今の状態を把握できることによる精神的なストレスの低減にはなるかもしれない。けれど実際に受けた医療行為は、病気の初期に抗生物質をもらった程度であり、外科手術を除けばほとんどのところ自力回復によるもので、治療とは言いたくない治療であった。

医療機器としての単体は、著しく進化してきた。しかしそれを使って病気を治すというソフトは本当に進歩しているのだろうか。単品は開発し易く、また売り易いのだろう。次から次へと新機種が低価格で市場に出てくる。けれど一度分析したデータは、その時、その病院のみで使用されるだけで、患者は相変わらず同じ検査を何回も繰り返しやらされている。私の病気なんかも、時系列的にデータを蓄積し、分析すれば、何らかの有効な治療手段が打てるような気がしてならない。

作り易く、売り易い、そんな単品の性能はどんどん向上しているのに、医療をシステムとして大きく捉えた商品は、なかなか世の中には出てこないし、普及していない。単品から得られる情報をネットワーク化し、真に患者のためになる医療システムとして作り上げて行くためにも、これからは情報通信が大切になってくるだろう。

患者(ユーザー)にとって本当に必要なもの、例えば受診の時間的、肉体的負担の軽減や個人の病歴、生理データの蓄積とその有効な利用方法といったものを追求する姿勢が、医療現場には無い。まだ依然として、“患者を診てやる”といった思い上がった風土が、根強く残っているような気がする。馬鹿でも医者ができる様に技術が進歩してしまい、医者が楽になるばかりで、医術は駄目になってしまうのではなかろうか。技術は医者のための技術であってはならない。患者のための技術を開発すべきなのだ。