パリオリンピックでも感じたけれど、スポーツ中継の解説は無い方がいい
音の影響
【2019年10月記載】
久しぶりに、ガンバ大阪の試合がテレビ放映された。2年前、Jリーグの試合の放映権は、スカパーからDAZNに移った。それによって、タブレットやスマホで手軽に観戦できるようになった(ただし、有料)反面、地上波や衛星放送で観戦することは限定的になり、実際にはほとんど観ることができなくなってしまった。だからガンバ大阪の試合は、年に2、3度観られたら良いというような状態となった。
今、ガンバ大阪は昨年と同様に下位の方で、残留争いのまっただ中にいて、この日は上位で優勝争いをしているフロンターレ川崎とのホームでの一戦であった。サッカーの試合は常にスピード感があって、攻守の切り替えも速いので目が離せない。試合時間も2時間と決まっているので区切りもつきやすく、だらだらといつまで続くか分からない野球と違って、観戦するのには楽だ。
そういった意味ではラグビーもサッカーと同じで、スピードにパワーの魅力も加わって、ルールの複雑な分だけバリエーションも豊富となり、違った面白味もあるので、そのうちに野球にとって代わるのではないかとも思う。
その久しぶりにTVで観るガンバ大阪の試合だったのだが、テレビは解説がいけなかった。NHK放送なので、そんなにおかしな解説者だというわけでもないのだろうけれど、山本昌邦さんの解説には閉口してしまった。「精神力」や「メンタル」を語り過ぎて、少しもプレーや戦術的な話はないし、ガンバ大阪のホームであるにもかかわらず、優勝を目指しているフロンターレに肩入れしているように感じて、気分が悪くなった。さらに試合は、先制したガンバが追いつかれ、そして逆転されてしまったのだから、聴く方にとっては耳を塞ぎたくなるような状態となってしまった。
ふと思い出したのは、スタジアムで観戦している時の気持ち、すなわち、時々ガンバの試合をスタジアムに行って観ているけれど、その時はたとえ負けてもそんな嫌な気分にならないと…。何故だ?
そう、何も音が入ってこない。聞こえるのはスタジアムでのプレーヤーの声とファンの歓声だけ。今の状況がどうのこうのは、観ている自分が判断するのみ。自分の世界でものが見える。ある意味客観的にものごとが見えている。いらない音は消したほうがいい。もしかしたらスタジアムにいる感覚になれるかも知れない。そう考えた。
音声を切った途端、気持ちが落ち着いた。変にドキドキしないし、焦る気持ちもなくなった。ゲームを冷静に観られるような気がした。何なんだこれは…。
音声無しで、そのまま試合終了まで観た。とても充実した気分で楽しむことができた。あの解説は何だったんだ。あのアナウンサーの煽り立てるようなプレー一つひとつの表現は何だったのか。単にうるさいだけ、耳障りなだけであったのか。テレビのスポーツ中継は、その現場の音声のみで十分私たちに伝わっている。余程の初心者でない限りは、解説やアナウンスは要らない。逆に迷惑なだけである。雑音となっているだけだ。
音には不思議な力がある。単に映像だけだと何のインパクトも与えないものが、音楽を入れるだけで一気に盛り上がり、人々の感情を刺激することはよく経験する。音には人の心を支配する何かがある。ムードをいやがうえにも高めてしまう力がある。音には要注意である。