センバツ高校野球の時期ですが、あまり興味が湧かなくなったのは何故でしょう...

地方の魅力

【2024年4月記載】

年齢を重ねると何事に対しても興味が薄れてきてしまうのだろうか。近頃はワクワクし好奇心が湧きおこるようなコトやモノが少なくなってしまった。完全にリタイアしたのだし、貯えもそこそこあるのだから、何でも好きな事ができると思っていたのだが、なかなかそうはいっていない。家事、育児、介護で毎日忙しくしているので、意外と暇を持て余すようなこともなく、この2年間は過ごしてきた。

リタイアしたら日本中好きなところに行けると考えていたが、いざ行くとなると、どこへ行こうかと考え込んでしまう。近場では、京都、大阪、神戸は行き尽くした感があるし、近畿、中国、四国そして九州など西日本もさほど行きたいところはない。東海、中部、関東そして東北もそれほど行ってみたいとは思わない。北海道や沖縄は、本土とは違った文化や自然が味わえそうなので、それなりに興味はあるのだが、二度三度とリピートしたくなるようなところでもない。

テレビやインターネットでは、各地の名所、旧跡、文化や自然などの情報が溢れていて自ずと疑似体験できるので、今更ながら訪れて体験したいという気分にはなれない。目や耳が肥えてしまったのだろうか。それを目的に時間とお金を費やしてまで行ってみたいと思わせるようなところは無くなった。どこに行っても同じようなものだとつい思ってしまう。見るもの聞くもの食べるもの、どこに行ってもみな似たりよったりで、驚きびっくりするようなものは無いのだろうと…。

宿泊施設も飲食店もお土産もみな知っているものばかり。モノに限らず、体験できることもおおよそ想定がつくし、それほど特長のあるものはない。日本国中どこに行っても同じようなものなのである。日本全体が同質化してしまった。各種チェーン店が国中にあふれかえって、どこの街に行っても同じような風景になってしまった。

先日、長男一家が奈良に帰って来たのだけれど、その際車で街中を走っている時、道路沿いに並ぶ店舗を見て長男の嫁さんが言った。
「奈良も栃木と一緒ですね。ほとんど違和感がないです」
そう、どこに行っても同じ風景になってしまった。古都奈良でさえ、普通に道路を走っただけでは、その特長が分からない。ここ十数年、妻や私が国内旅行をしていないのも、またその気にならないのも、こんなところが根底にあるのだろう。

情報が溢れ、モノが各地に行きわたり、それらが時を同じくして同じように変化していく。奈良にいても、東京にいても、島根にいてもあまり変わらない。

ところで、この春のセンバツ高校野球で、ちょっとだけ話題になったことがある。徳島県の阿南光高校がベスト8まで勝ち進み、しかも選手25名全員が県内出身者あり、近年ではとても珍しいことであると。なるほど、最近の高校野球が面白くなくなったのは、これが原因だったんだと納得してしまった。

私の幼い頃は、国民体育大会もそうであったが、高校野球は郷土の代表が全国大会でその力を競うものであり、各都道府県民の郷土愛を認識させ駆り立てるもので、それにより人々の活力を醸成するものであった。当然、選手たちはその郷土の出身者であり、彼らの一挙手一投足に熱い声援を投げ掛けていた。

しかし、いつしか知名度を上げるための勝利至上主義であったり、甲子園に出たいという生徒(選手)の欲求もあり、人口の集中する都市部から競争の緩やかな地方の高校へと生徒が移動するようになる。今では地方の有力校に都市部から生徒が越境入学してくるのが常態化し、地元出身選手はほとんど出番がなくなってしまった。当然のことながら、以前のような郷土意識は薄れ、熱い声援や盛り上がりも少なくなってしまった。地方としての特色も薄れてきた上に、その活力も衰えてしまったのか…。最近、高校野球が面白くなくなってきたのは当然のことなのだろう。

話はさらに飛ぶが、ずっとはるか昔、幕末の開国前は、人々の交流も少なくましてや情報量も乏しく、それがために国内の各地では独自の文化や生活様式が発達し、それぞれに特長があった。それこそ東海道中膝栗毛に著されているがごとく、東海道を行き来するだけでも、当時の人々にとっては非日常的体験をすることができた。今でいう海外旅行に匹敵するものであったに違いない。交通システムの発達や情報量の飛躍的な進展によって、国内における生活や文化の均質化は加速され、地方や地域の特色は薄れてしまったと言える。

現在、多様性を尊重しようとする動きはあるものの、異なる他者を受け入れようとする意識はあるものの、そして個性を発揮できるような環境にはなっているけれど、地方として地域としての特色は薄れてきているように感じる。

生活環境を自ら作り出せるようになった今、私たちは同じような生活環境で暮らすようになり、地域の作り出す自然環境に合わせた生活や文化というよりは、世の中のトレンドに則した生活環境の中で暮らすようになった。このままでは、地方の魅力は少しずつしかし確実に無くなってしまい、いずれ私たちは均質な世界で暮らすようになってしまうことになる。それでいいのだろうか。ちょっと、それは勘弁して欲しいなぁ。