キャッシュレス時代に思う...便利になる=思考の停止
現金は使わなくなった
【2013年4月記載】
何でもかんでもカードの時代になった。それも本格的に。すべてのことがカードで済まされるようになった。
私の場合、一週間の内で、現金を使用することがあるのは、JRの運賃チャージ、コーヒーの自動販売機と飲み会で使うだけ。JRのチャージも一回のチャージ額を多くすれば、その回数は減る。自販機もカード方式のもあるし、飲み会だって私がクレジット支払いをすれば済むし、その際飲み会メンバーから現金を徴収すれば、かえって現金は増える。
びっくりするほど多岐にわたって、カード決済が可能となった。会社では一切現金を手にしなくても事が足りる。食堂は社員カードで昼食も夕食もとることができる。喫茶も社員カードで、売店も社員カードで何でも買える。だから、会社では財布を持ち歩く必要がない。
最近で、特に嬉しいのは、東京でしか使えなかったSUICAやPASMOが、関西でも使えるようになって、PITAPAも東京で使えるようになったこと。東京出張の多い私にはとても助かる。カードが統合されるのは大歓迎。現金を使わなくなった分、カードの出番が増えるわけで、そのカードの種類が統合されることによって少なくて済むのは、利用者にとっては好都合である。持ち歩くカードの数が減るのだから。
単純に今のトレンドで、このまま世の中が進めば、貨幣や紙幣はその意義を失い、有史以来のその存在価値が否定されることになってしまう。紙幣がその姿をカードに変えただけだと言えなくもないけれど。
財布や小銭入れといったものが、この世から消滅してしまうのだろうか。現金をたっぷり入れた財布を持った時の感触、おしゃれなブランド物の財布を手にする満足感、そういったある種の生活文化が無くなってしまうのだろうか。便利になればなるほど、無駄がなくなって、その無駄を味わっていた文化が消えてしまうのか。
現金を持たないと、お金の感覚が分からなくなって、ついつい使い過ぎになってしまう傾向にあるようだ。お金の量的なものを考えなくなるから。今までは、リアルに存在するがために、計算したり、計画を練ったりしていたことが無くなってしまうというのだろう。
携帯電話の普及の時もそう感じたのだが、いつでもどこでも自由に使えて便利というのは、本当は良くないんじゃないのか。携帯電話がない時には、スケジュールを計画し、相手の予定に配慮して行動していたのが、便利になったがゆえに何も考えようとしなくなり、行き当たりばったりの行動に出てしまいがちになっているのではなかろうか。
利便性を追求していくことはいい事かも知れない。何でも便利になるに越したことはない。しかし、一方で、不便であるがゆえに、考え、計画し、みんなで協力しあっていたことがある。それに伴い、私たちの思考力やコミュニケーション力が養われてきた面がある。単なる利便性の追求だけでは、失うことの方が大きい場合もありそうだ。
新規事業を創ろうとする私たちの取組みの目的は、世の中の人の為になるようなものを生み出すこと。だとすれば、誰もが考え、思いつくような利便性の追求をすることではなく、誰もがそう簡単には考え出せないような、「新しいことができる」とか「今までにない楽しさが味わえる」といった新しい価値を生み出すことでなければ、本当に人の為になるとは言えない。単なる便利では意味がない。

