やっぱり機会があれば帰省はした方がいい。故郷はいつまでも在るわけではないのだから...

一番短い帰省

【2007年1月記載】

 いつもの土曜日の朝とは少し違い、自分でも朝からシャキッとしていると感じた。前夜、同僚のNさんから実のお父さんが亡くなったとの連絡を受けていたので、この日は弔事の対応に終始しなければならないことが分かっていたからだろう。

朝一番、Nさんからメールが入ったので、再度電話で詳細を聞く。それを元に入事や関係先と連絡を取り、弔電、供花、香典等の準備や手配をする。あいにく研究所長は外国出張のため不在であり、告別式には私が出席することにした。会社からの香典は20万円と決められており、とりあえず家中の現金を掻き集めて立て替えた。告別式は明日の朝10時から始まる。場所は広島の庄原市で、中国山地のほぼ中央に位置しており、当日の朝出かけたのでは間に合わない。前日には庄原市に入っておく必要がある。

普段なら、せっかくの休日が丸まる2日間が潰れてしまう、と残念に思うのだが、庄原市は三次のすぐ隣にあり、とても身近に感じるのか、あまり苦に思えない。あれこれ弔事の手続きをしていたら、あっという間に昼が過ぎてしまい、出かけなくてはならない時刻になった。何しろ、庄原は遠いし、交通の便が悪い。

午後3時過ぎに家を出て、新幹線で広島まで行き、そこから高速バスで庄原に向かった。途中の広島で、もうあたりは真っ暗になっていた。高速バスからライトアップされた広島城を眺めていると、小学生の頃、家族で広島を旅行したことが思い出されてきた。そういえば、あの当時のバスはとても乗り心地が悪く、車酔いをして、何度も吐いてはお母さんを心配させたっけ。夜の灯りは過去を呼び起こす力があるのだろうか。

庄原は思ったよりも小さな町だった。私の実家がある江津市とほぼ同じくらいか、それよりも小さく思えるほど、人通りがなく静かな町であった。

翌日、告別式も無事に済み、一路、来た道を引き返すことになったのだが、どうも、何か遣り残した感じがしてならない。このまま帰ってよいものか、せっかくここまで来たと言うのに。最近少し疲れ気味で、休みたいという気はあるのだけれど、まっすぐ帰る気になれない。なにしろ帰りのバスは三次を通るし、江津もすぐ近くだ。それに、父が年末から体調を崩していたのだが、2日前に入院したとの連絡を受けていたので、それも気になっていた。
 普段は至って元気な父であったが、昨年隣にある空き家を購入し、年末にかけて整地した際、相当無理をしたらしい。83歳になるのに、毎日ネコ車を押しては、瓦礫を除去し、新しく垣根を作り直したらしい。余程嬉しかったのだろう。これまで隣家は事務所として使用されていたので、ゆくゆくは買い取れると踏んでいたらしく、我が家を拡張するのが長年の夢であったのだろう。その思いが実現したのだから、力が入るのも無理はない。それで、とうとう年末年始には、腰に負担がきたらしく、腰が痛んでしようがなかったようだ。病名は化膿性脊髄炎、感染症らしい。 1、2ヶ月の治療が必要とのこと。同居している弟の話では、そう心配する必要はないらしいのだが、それでも気にかかる。

庄原から江津までは直線距離にして120km程度と思われるのだが、あいにく交通手段がない。鉄道はもちろんのこと、高速バスも乗継がうまく繋がっていない。しかたがないので、とりあえず、庄原から広島まで行くことにした。乗車時にバスの運転手に尋ねた。
「浜田まで行くにはどうすればいいんでしょうか?」
浜田にさえ行けば、何とかなる。山陰線で江津までは30分もかからないし、弟に頼めばすぐに迎えに来てくれるだろう。問題はここから浜田までどのくらいの時間で行くかである。一旦広島まで戻って、浜田まで行くとなると4時間はかかるだろう。それでは日が暮れてしまう。
「そうだねぇ、千代田で降りてタクシーを拾い、千代田西まで行くといい。そこから浜田行きの高速バスに乗り継ぎができるはずだ」
「そうですか、少し考えてみます。有難うございました」

高速バスは庄原を11時30分過ぎに出た。途中、12時頃に三次に着いた。三次に住んでいる義母は、姪の成人式を祝うため今は京都にいるので、ここで降りても仕方がない。あと30分もすると千代田に着く。早く決めなくては…。問題は、タクシーがトラブルなくきちんと拾えるかどうか。千代田西に行けたとしても、都合よく高速バスがあるかどうかである。うまく行けば、浜田には2時間で着くはずだ。
「すみません。千代田で降ります」
イチかバチか千代田で降りてみることにした。例え乗継ができなかったとしても、次の広島行きのバスに乗ればいい。30分も待てば来るはずだ。それで諦めがつくのならお安いものだ。

千代田での乗り継ぎはうまく行った。もうあと20分遅ければ、2時間待ちになるという危ういところであった。その後は、弟に連絡して浜田まで来てもらい、途中母の墓参りを済ませた後、実家で喪服から普段着に着替えて父の入院している済生会病院に向かった。

父は思っていたよりも重症だった。とにかく腰が痛くて動けないので、少し弱気になっていた。それでも私が来たことに気を良くしたのか、少しだけ元気そうに振舞ってくれた。会ったのはわずかに10分程度。もう少し長く居ても良かったのだが、帰りのバスの時間があったので、会話もそこそこに病院を後にした。

実家は見違えるほどに、きれいになっていた。裏庭が広くなり、小さな畑もできている。井戸を利用して散水設備も整っている。車庫も大きくなった。貝塚伊吹の生垣も延長されて、とても立派な家になっていた。お父さんの努力の跡がいっぱいだった.

江津滞在時間はわずかに35分間。けれど思った以上に、たくさんのことができた。弟には迷惑をかけたけれど、やっぱり来て良かった。30数年間の帰省の中で、極端に短い帰省だったけれど、とても密度の濃い、有り難い帰省だった。