やっぱりクルマよりも鉄道にもっと投資すべきだ...と私は思う

新車は要らない

【1997年10月記載】

滋賀県八日市市にある当社の製造事業部からの帰り、同僚の研究室長に京都深草まで、車で送ってもらった。流石に新しくていい車は違う。最近買ったという排気量2500ccのTOYOTA MARKⅡは、フットワークが良く時速100k以上で走っても安定していて、安心できる。

「いやぁ、いい車ですね。乗っていてすごく気持ちがいい。これなら運転も楽でしょうね」
「きみは何に乗っているんだい」
「コロナです。もう古くなりましたけど」
「何年式」
「えーと、昭和60年くらいだったと思いますが」
「えっ、それじゃあまだマニュアル車じゃあないのか」
「一応はオートマチックなんだけれど、家内がまだ十分走るからといって、なかなか新しい車を買うことに同意してくれないんですよ」

やっぱり車は新しくて、排気量がデカければデカいほど、乗り心地は抜群に良い。第一乗っていてかっこいいじゃあないか。ピシッとブランドもののスーツできめて、街を歩くようなもので、今や車はファッションなのだ。余程自分に自信が無い限り、古い車で街中を走るのは、何とはなしに引け目を感じてしまう。だから金銭的に余裕が生じれば、真っ先に買いたくなるのが車なのではなかろうか。

けれど本当にそれで良いのだろうか。次から次へと目先の新しさを装った、本質的にはあまり変化の無い新車を発表し、消費者の歓心を買うような広告宣伝を繰り広げる自動車メーカーと、それに呼応するかのように競ってトレンドを追い求めるユーザー。そういった状況の中で、一年間に何百万台もの車が生産されては、大量の石油を消費して、最後には無用の長物としてスクラップされていく。いくら道路を整備して、高性能の車を開発しても、依然として交通渋滞も解消させることが出来ないままで。一人の人間が生きていくのに必要な量以上に、いかに無駄なエネルギーや資源を消費していることか、その一番の原因は自動車にあるといっても言い過ぎではないだろう。

もし、自動車が無かったらどうなっていただろう。高速道路を整備するだけのパワーを、鉄道の整備に費やしていたら一体どうなっていただろう。今と変わらない便利さで、いつでも何処へでも自由に人の行き来ができたのではなかろうか。案外、車の渋滞とかが無い分、今以上に時間的には効率よく、しかもエネルギーロスの少ない状態で、環境負荷の著しく低い社会システムが出来上がっていたかも知れない。

もうすぐ私のコロナは11年目の車検を受けなければならない。しかし、走りの程度や運転のし易さからいっても、また安全性の面からいっても、そろそろ車を買い換える時期には来ている。全人類的見地から言えば、それは正しくはないのだけれど、十数年前のオンボロ車に乗っていては、やっぱりカッコ悪い。少なくともアベレージにはいたいので迷ってしまう。