もはやその役目は終了したようだ...年賀状も一時期の1/3にまで減少した
年賀状
【2022年2月記載】
2022年もはや1ヶ月が過ぎた。コロナ禍となって丸2年が経つ。当初はすぐにでも終息するのではないかと楽観視していたのだが、それも私の認識知識が足りなかっただけで、実際には私の生涯を通じて最大の厄害であり、戦争に匹敵する歴史的災いとなっている。
そんな中で、年始に頂く年賀状は少なからず私の励みそして元気の源になっている。幼馴染や学生時代の友人はもとより会社の同僚や上司からの便りは、懐かしい思い出とともに今も健在であることの証であり、生きていることへの感謝が湧いてくる。特に私より年上の先輩、上司や親戚からのメッセージは心が熱くなる。
しかし、インターネット社会となって、作成に手間がかかりしかも費用がかさみ後の処分にも困る年賀状の存在は、風前の灯火のようにも思える。実際、子どもたちの世代は年賀状のやり取りはほとんどなく、結婚や出産のお知らせ程度に使われるだけで、親戚や会社の付き合いなんてものは全くない。ある意味、世代を越えた人と人とのつながりや血と血のつながりというものが分断化されてしまっている。
年賀状の作成は、幼い頃であれば学校で教わった版画であり、結婚してからはプリントごっこを使い、写真シールを多用した。25年くらい前からはパソコンでイラスト作成をするようになったが、いずれも作成にはそれなりの時間を使い、手の込んだもので自己のアピールとしての思いが詰まっていた。しかし、ここ10年くらいは市販ソフトで済ませるようになり、宛名書きも軽減されてとても楽になった。けれどその分、年賀状への思い入れは少なくなったような気がする。
ところで、毎年のように喪中はがきが来て、その人たちには差し出しを控えているのだが、それとは別に年賀状のやり取りを止めるとの通知を頂くことが多くなった。高齢となり年賀状交換が難しくなったとの理由が大半だけれども、今のネット社会を反映して手間のかかる虚礼的慣習はしたくないというものもある。それもそうだと、私も納得できる。過去のしがらみにいつまでも束縛され続けているようで、どこかで断ち切りたいと思うことはある。また、年齢を重ねていくことによる人との出会いが増える中で、年賀状交換は膨らむ傾向にあるので、それでよいのかと考え込むことはあった。
ここ15年くらいは、新たに年賀状を交換する人の数はめっきり減っているし、再就職してからは全くない。したいとも思わないので、なおさらかも知れないが…。周りの雰囲気としては“年賀状を書く”こと自体が、すでに死んでしまっているかのようである。
一時は300枚程度もやり取りしていた年賀状であるが、今年は200枚ほどにまで減少している。お義母さんも今年で年賀状は卒業するという旨の便りを出した。年々少なくなっていく年賀状ではあるけれど、来ればやはり嬉しいし、簡単なコメントでも添えてあれば元気が出る。虚礼的だし、本当の絆とは言えない人たちもいるかも知れないけれど、今でも少なからず費用も手間もかかり面倒臭いものだけれど、頭と体が使える限りは、そしてそれを受け入れてくれる人がいる限りは、続けたいと願っている。

