もうすぐ中学の同窓会がある...この駆け抜けてきた半世紀を振り返るにはいい機会だと思う

ライバルを探せ

【1993年8月記載】

  自己成長をはかるには何か目標が要る。より明確であればある程良いし、それが定量的にはかれるものならなおさら良い。そういう面でのみ"受験教育"をみれば、やり易いであろう。点数で出て来るのだから、これほどはっきりしたものはない。また目標は具体的にビジュアル化し、いつもそれを頭の中で繰り返していくともっと実現の可能性が高くなると思う。
 しかし目標を持つというだけでは人間なかなか大きく成長することはできない。目標に向かって考えたり、努力したり、気力を振り絞ったりしていく推進力となるものが絶対に欠くべからざる要素だと考える。それは偏に己を強力に導いてくれる指導者がいるかどうかである。しかし普通には待っていてもこんな人はいないのであって、やはり自分で見つけ出すか、それにとって変わるものを探し出さなくてはならないのである。
 参考となる人物、師と仰ぐ人の下に積極的に飛び込んで行く等いろいろ手段はあるが、その中の一つに同じ様な目標に向かって突き進むライバルを持つことがあると思う。いいライバルを持つことはいい指導者を持つことにも劣らず、その人にとって強力な推進力になるとともに、その時の適切なアドバイザーにもなる。目標到達に向けての過程ではいろいろな浮き沈みがあるが、どんな逆境に陥ってもそのライバルの存在により逆境をバネとすることができるし、いろいろな局面において参考となることも多いはずである。そういう点から見れば、ライバルは自分よりもちょっとだけレベルは上にないといけない....少しばかり自分よりは抜きん出ている面を有していないといけない....自分にとって得るところが無いといけない。しかしあまりにも今の自分と掛け離れたものであってはならない。現実を見失ってしまうから....

  入社当時、よく酒に酔って「最終的にはライバルを○○事業部長に置いて、今は□□技術部長をライバルとして考え、当面は一年先輩の△△さんをめざして頑張っていく」などと大口をたたいたものだが....理想の姿をイメージしながら、具体目標を設定して行く手法は悪くない。  ライバル=目標かな?

  ライバルとなる対象は変わって行くのか。単なる幼い時からの友達とか、学生時代の友人とか、同期入社の仲間とか....その時点では確かにライバルだったけど、果して彼らたちが今の私にとって本当にライバルなのだろうか。目標とするところも変わって行くのだから、当然変わってもおかしくはないのだが。

  先日全社の経営会議で、中学・高校で一緒だったIくんに会った。何かの縁で希しくも同じ会社に勤めている所謂ライバルである。いつもの様にちょっと気どった調子で声をかけてきた。「やあ、元気かい。先日三人目の子供が出来てね。女の子だったよ。少し大変だけど、そっちはどうだい?」  見ると、はつらつとしていて、我ながら少し誇らしく思った。”こんな立派な友達がいたんだなあ....”と。

ライバルはこうでなくっちゃあ!