またとない機会を潰してしまったかも...
スマホを忘れて
【2023年10月記載】
90才ともなると、義母はひとりで暮らすのは難しくなってくる。体力的にも衰えは否めないが、それにも増して認知機能の衰えは著しい。朝言ったことを昼にはもう覚えていない。言うことが日毎に180度転換することも頻繁に起こる。
実の母の世話をするために、妻は月の半分を広島の実家で過ごしているが、その往復間隔が2週間から1週間へと縮めなくてはならなくなった。すなわち月1回の帰省を月2回の帰省にしなければどうしようもない状態になってきた。義母が一人での生活を長く続けることができなくなった。とても1週間以上は持たなくなり、妻のサポートは必須となった。月2回の帰省は仕方ないがせめてそのうちの1回は私で代役が務まらないか、すべての負担が妻に掛かってしまっては彼女が持たない。しかし、現状としては、なかなかそうはできていない…。
そんな中、今日も妻は奈良から広島の実家へと向かった。途中の京都駅で、義母ご所望のお土産を買うために、少し早めに。
いつも通り最寄りの駅まで彼女を送り、自宅に戻った。ふとテレビに目をやると、テレビ台にスマホが置いてある。充電中だ。あれっ、これってもしかしたら妻のスマホではないか…。すでに彼女は近鉄特急で京都に向かっていて、たとえ気が付いたとしても途中では降りられない。いくら早めに出たからと言って、京都から折り返したのでは、新幹線には間に合わないし、その列車に乗らなくては広島から実家へ向かう芸備線への乗り継ぎは出来ない。幸い、早めに出た分、京都駅での新幹線への乗り換え時間は1時間ある。
今から私が京都へ向かえば、彼女にスマホを手渡しすることはできる。しかし、今から追いかけて京都に向かうことを彼女に伝える手段がない。また、彼女がスマホを忘れたことにいつ気が付くかも分からない。彼女が新幹線をキャンセルして途中で引き返すとか、何かのアクシデントが発生して京都駅で会えないとか、何が起こるか分からない。そうは言っても、彼女と連絡が取れないというリスクを抱えたままで、京都駅に行くしかない。彼女から30分遅れで私は京都に向かった。
彼女がスマホを所持していないことによる不都合、不便さには何があるのだろう。いつでも好きな時に連絡をとることができなくなる。しかしこれは実家に帰れば固定電話で解決できる。ただし、それまで私との連絡は取れない。第一、彼女は私の携帯電話の番号を覚えてはいないので、公衆電話を使ってもムダとなる。そもそも今では公衆電話を探すのも難しい。
そして、彼女が実家へ帰ってからの情報量が極度に少なくなる。一般情報もTVと新聞だけになるので、量が減るだけでなく欲しい情報の検索もできなくなる。天気、料理、家事、健康などの生活に必要な情報へのアクセスができなくなる。また、家族間、親族間のコミュニケーションがほとんど取れなくなる。日常的なLINEでのやり取りはもちろん週一回程度の孫たちとのビデオ通話もできない。またそれ以外の人たちともこの1週間は断絶状態となってしまう。
写真撮影もできない。孫たちの写真(娘たちが送付してくれるもの、閲覧ソフト上に定期的にあげてくれるもの、幼稚園のブログなど)も見られない。新幹線や近鉄特急のチケットも取れない。電子決済(d払いなど)もできない。やっぱり今のくらしの中ではスマホが無いととっても不便になってしまう。
京都駅は平日だというのに人でごった返していた。外国人観光客が多い。伊勢丹のみやげ物売り場を探したけれど、いない。新幹線チケット予約を確認すると、すでに入場しているようだ。発車まであと20分ある。ホームで渡すしかない。ところが、新幹線チケット売り場は外国人観光客が多く、並んでいる。しかも発券するのに手間取っている。時間は十分にあるのだけれど、心なしか焦ってしまう。
思ったより早く入場できたので、余裕を持ってホームに上がることができた。いつも乗車する6号車の停車位置に妻はいた。後ろから肩をたたくと、少し驚いたようだった。まさか持ってきてくれるとは思わなかったらしい。そもそもスマホが無いのに気付いたのが、新幹線の改札を入った後だったので、完全にあきらめていたようだ。「まぁ、無くてもいいか…」と。
スマホはあるととても便利だけれど、彼女が思ったように、無くても済むものなのだろう。必須アイテムのようで、実はそうでもない。少し不便にはなっても、それを補う心とゆとりがあればそれで何とかなるのだろう。もしかしたら、彼女にその体験をしてもらっても良かったのかもしれない。