そういえば30年前はカラオケ全盛の時代で、それは仕事上のコミュニケーションツールであった。
カラオケ考
【1994年5月記載】
ビバ!ガンビーノ、久しぶりにガンバ大阪が勝った。家中みんなで、オーレオレ歌って踊って楽しんだ。いつもガンバが負けるたびに泣いてしまう6才の長男は、一所懸命に振付けを考え考え、とてもリズミカルに嬉しそうに踊っていた。
きょうは長女と二人ではじめてレンタル屋さんに行って、CDを5枚借りてきた。そのうちの1枚が「ビバ!ガンビーノ」、これはいけそう。私にでもすぐに覚えられそうだし、第一、時流に乗っていてしかも受けそうな曲である、カラオケで歌うには…。最近新曲を覚えていないから丁度よかった。
ここ一年スナックに行っては良くカラオケを歌うようになった。これも上司の影響である。おかげで私のレパートリーも一挙に増えて、カラオケで歌うのにあまり困らなくなった。しかし、やっぱりといういうか、基本的に歌うことは下手であるから、それなりに苦労をする。覚えるのに人一倍の時間と努力が必要なのである。ただ音楽は昔から好きであるから、そんなに負担は感じないのだが、最近の曲はかなり難しくなっているから大変だ。
何故、人はこんなにカラオケが好きなんだろう。素人がどんなにうまく歌ってもたかが知れているし、その中でも上手な人はごく僅かであるからして、自分で歌ってそんなに面白いものでもないだろうに…。むしろプロの歌を聞いた方がどんなに良いか知れない。音楽なんてよほどうまくないと聞く人にとっては苦痛でしかありえないものだ。だから本当に音楽の好きな人は、心からカラオケ愛好家にはなれないのではないか。本当にいい音楽を味わったことのある人やいい音楽のわかる人は、決してカラオケで"音楽"を聞こうとは思わないだろう。
とすれば、カラオケは何のためにあるのか。おそらく自己表現のためであろう。自己顕示欲の発散の場であり、自分の存在をアピールしたり、自分の歌に自分で酔いしれ満足を得るためである。だから周りの人々からお愛想の拍手でも貰ったら、もうそれで天にも昇る心地になるのである。そして日頃の欲求不満を解消すべくマイクに自分の感情をぶつけ、そして歌の中で主役を演じた爽快感が、アルコールの力を借りて心の中のモヤモヤを吹き飛ばすのであろう。
ということは、いいカラオケ利用法というか、カラオケ心得というものもおのずとはっきりしてくる。歌う場合には、できるだけ声は大きく気持ちを込めて歌うこと、曲は絶唱型で、やはり演歌が一番良いであろう。そしてマイクは適度に人に譲る、2曲連続して歌わないこと。連続して歌っても誰もほめてはくれない、白けるだけである。また聞く側としては、必ず大きな拍手をすること、精一杯持ち上げること、決して野次ってはいけない。人の歌っている曲を途中から取って歌わないこと。そしてどんなに下手でもうまくほめてあげること。これがきちんと出来ればカラオケの効用は絶大で、その効果も充分得られるはずである。
間違ってもカラオケを音楽と理解してはいけない。カラオケは人生の応援合戦だと思った方がいい。うまい下手は関係ない、歌う方も聞く方も力一杯声を出し、互いにエールを交換し合う。これこそ本当の?"カラオケ道"というものだ。
哀しいかな....人生の応援歌を歌いあげ周囲の注目を浴びようと、今日も一所懸命に新しい曲に挑戦する.."私"である..。