この春、日光へ。もう少し味わいたいから...

日光東照宮

【2018年8月記載】

関東あたりの都市の位置関係はどうもよく分かっていない。仕事でお世話になっている会社の大泉工場には2ヶ月に1度くらい出張しているのだけれど、いまだにこのあたりの位置関係を把握できているとは言いがたい。大泉や我社の支店がある太田市は群馬県にあり、大泉工場の最寄の新幹線停車駅である熊谷は埼玉県、太田市から目と鼻の先にある足利市は栃木県、この関係はようやく最近になってしっくりと頭の中に入ってきた。

それでもやっぱり十分には把握できていなくて、日光は群馬県の太田市からすぐ近くにあるものと思っていた。だから、出張の際、時間があれば日光東照宮を訪れてみたいと思っていた。が、少し調べると、それはとてもむずかしいことが分かった。太田市と栃木市の間も結構あるのにその栃木市からも日光は遠いのであった。だから、日光東照宮は諦めていた。

ところが、金曜日中に仕事が済んでしまう出張が入った。土曜日は朝から自由だ。それに休日なのだから何をしてもいいはずだ。日光へ行くにはこの機会を逃してはならない。

「日光を見ずして、結構と言うな」幼い頃に、聞いた言葉を思い出す。生涯に一度は訪れてみたい場所だ。

それでも、やはり日光は遠かった。太田のホテルを出て東照宮に到着するまでに、3時間近くを要した。ひとりで観光地を訪れるのは、ちょっぴりもの足りない気はするが、それでも国宝の陽明門や眠り猫が見られるのだ。気合は入る。3時間かかってでも行く価値はある。

日光は山の中にある。けれどさすがに日光だけのことはあって、まだ10時になるかならないかというのに、とても多くの人が参拝に来ている。その多くは外国人だ。欧州系も、アジア系も、たくさんの外国人がいる。こんな地方にまで外国人観光客は足を延ばしてきている。今流行のクールジャパンだろうし、日光東照宮は価値があると言うことなのか。

昔、学校で習ったものなのか、あるいは雑誌で読んだものなのか、あの有名な左甚五郎の眠り猫、見ざる・言わざる・聞かざるを有難く見させてもらった。修復されたばかりの陽明門は、さすがに豪華であった。記念にスマホでたくさん写真を撮ったけれど、ひとつだけ、私が来たという証拠がどうしても欲しい。LINEで家族や兄弟たちに自慢できるものが。

誰かにスマホのシャッターを押してもらおうと思ったけれど、周りにいるのは外国人であったり、カップルであったり、なかなか声をかけづらい。ふと見ると望遠のついたとてもしっかりした一眼レフカメラを持った若い女性がいる。思い切って頼んでみた。
「スマホのシャッターを押してもらえませんか?」
すると、彼女は少し恥ずかしそうに、
「私こんなカメラを抱えていますけれど、撮るのはそんなに巧くないですよ。上手に撮れなくても、ごめんなさい」
そう言って、2度シャッターを押してくれた。
「きちんと撮れているか、確認してください」
「大丈夫です。よく撮れています。有難うございました」
もう十分である。ほぼ目的は達成された。そう思った。

ところが、帰路についた時、表参道を行き交う人たちの流れをみると、参道から折れた道を相当数の人たちが西の方向に行くではないか。日光東照宮を観たいという目的で来て、それは果たしたと思っているけれど、少し不安になった。日光のことを、事前に十分に下調べをしてやって来たわけではない。ある意味、思いつきで来た感もあるので、ひょっとして…。

徒然草にある仁和寺の法師の話を思い出した。「山までは見ず」を。

東照宮の周りには、たくさんの拝観、見学スポットがある。宝物殿、美術館、日光二荒山神社、もっと足を延ばせば中禅寺湖、華厳滝、鬼怒川温泉などがある。所詮、出張のついでに立ち寄る程度では、日光を十分に味わうことはできなかったようだ。事前準備も旅のうちなのだから、本当はもっと大事に訪問すべきところなのだ。歴史の街、日光は。