こうも暑いと、夜空を見上げる余裕さえない...ひたすら走り続けるのみ

七夕

【2023年7月記載】

仕事を辞めて一年が経った。44年間ずっと走り続けて来て、やっと一息ついた。と言っても、生活に必要な身のまわりのことを毎日繰り返しているだけで、何らゆっくりしているという感覚はない。やったこととしては、断捨離を中心に、今までの人生の整理をしてきた一年間であったが、ここに来てだんだんとやらなければならないことが少なくなってきた。

相変わらず、妻が三次と奈良の二重生活を送っているので、私の役割も少なくはないのだが、時々ポカっと時間を持て余すような感覚に陥るようになった。本当に何をしなくても一日が過ぎてしまう。ただぼんやりと時間を過ごせば日が暮れる。TVを見てもいいし、インターネットを検索してもいい。音楽もネットで探せば何でも聴ける。本を読んでもいい。体を動かすことを始めてもいい。ウォーキングやフィットネスクラブもある。いずれにしても目標を設定して活動すれば、それなりに達成感も味わえるし、健康にもいいだろう。そろそろフェイズを変えて、生活リズムを見直す時期と言えそうだ。

ところで、私と同世代の人たちはどうしているのだろうか。私のように完全にリタイアしている人もいるけれど、結構みんな何かをしていて、フルタイムではないにしても働いている人が多い。ということもあってか、時々「もう働かいの?」、「何かしたらどう?」的な言葉を受けることがある。

世間一般では、高齢社会となった今、私たちの世代も働かなくては生活し辛い状況となっている。事実、所得は伸びない一方で、税金は重くのしかかり、物価も急激に高くなっているので、老後の心配は増すばかりである。と、このようにまわりがみんな働いているので、私もちょっとばかり気になってきた。このままでいいのかと。

一旦、足を止めたけれど、再び走り出すことも考えた方が良いのではないか。今まで私は何のために走り続けてきたのか。行きつく先はいったいどこだったのだろうか。それはすでに到達していると言えるのだろうか。

私には分かっている。いずれ走り出さなければならないと。マグロではないけれど、走り続けることが生きている証であって、そこに留まり続けることはできないだろう。

今日は七夕。夜空には星が瞬き、天の川を中心とする天体ショーを鑑賞できる季節である。しかし、七夕の日に満天の星空を仰いだ経験はほとんどない。先程まで日は差していたのだが、夕方からは曇天になるという。もう随分と牽牛と織姫を見た記憶がない。七夕は元々旧暦での話なので、実際には八月にあたり、今の時期に期待しても仕方のないものかもしれない。それにしてもずっと走り続けてきたこの間、ゆっくりと星空を見たことがなかった。私の記憶にある夜空は、幼い頃銭湯に通った時のものか、もしくは若い頃に江津の実家で仰いだものしかない。忙しさと都会の光の中で、夜空の星は私の意識の中から完全に抜け落ちていた。また、七夕というトリガーも曇天の空では効き目がなく、年中行事としては少しさえない状態と化している。

この夏、ゆっくりと、じっくりと、夜空を見上げてみよう。アルタイルとベガそして天の川を見ながら、遠くの世界を想い、もしかしたら私の行くつく先を教えてくれるかもしれない思考の時を持とうと思う。